【戦国時代】城の種類(山城・平山城・平城)と役割

城 日本史

お城って軍事拠点以外にも役割があったの?

お城ってどんな種類があるの?

*この記事はそんな方に向けて投稿しました

 

お城には

山城、平山城(ひらやまじろ)、平城(ひらじろ)、水城(みずじろ・みずき)

の4種類がありますが

 

皆さんはどの城が好きですか?

 

僕は山城が大好きです!

 

なぜなら登山城巡りをダブルで楽しめちゃうからです!

 

登山も楽しめて城も楽しめる、最高の休日ですね

 

 これら3種類の城は戦国時代の移り変わりと、お城の役割の変化によって 

 

 山城→平山城→平城 

 

 の順で変移していきます 

 

 注意しておきたいのが、

 

戦国時代後期には山城が存在しなくったというわけではなく 

 

 あくまで3種類の城の「割合」が変化しています

 

今回は「お城の役割」「お城の種類」について解説したので、ぜひご覧ください!

 

 お城の役割

戦国大名は自国を守る軍事拠点として城を築いていた他、情報伝達のためのネットワークを構築していました

 城は役割は主に5つに分けられ

 本拠地となる「本城(大根城)」、支配下にある各地域の拠点となる「根城(ねじろ)」 

 本城と根城の中継地点に築かれ、駐屯や兵糧保管の役割をもった「繋ぎの城」 

 城と城の連絡通信用の小規模な「伝えの城」 。

 伝えの城は見晴らしの良い場所に設けられ、烽火(のろし)の設備が備えられていました

 そして最後に、国境を守る最前線に築かれたのが「境目(さかいめ)の城」です

 

 こうしてクモノの巣のように、領国全体に支城のネットワークを張り巡らせることで、  敵の侵入をいち早く察知し、本城にまで情報が届くようになっていました

 

 城のほとんどが防衛、連絡手段としての役割を持つものが多かったが、 

 攻撃用に臨時的な城が築かれることもありました

 それが「陣城(じんじろ)」です

 攻撃相手の城に対峙する形で築く「向(むかい)城です

 籠城側の行動監視、補給路遮断、攻撃の際の陣地として利用されていました 

 誰もが一度は聞いたことがあるであろう豊臣秀吉による「一夜城」も向城です

同じく、豊臣秀吉による「小田原城攻め」の際にも、小田原城周辺に無数の城を築き、降伏させたと言われています

次にお城の種類を1つずつ解説していきます!

1.山城 

 平安時代後期から戦国時代初期にかけて多く築かれたのが「山城」で、

 文字通り山の頂上や尾根に築かれた城です

 代表的な山城は 

 岡山県の「備中松山城」、島根県の「月山富田城」、新潟県の「春日山城」などです

 

 特に備中松山城は天守閣が残る貴重な山城で、お城はもちろん登山も楽しめる僕のおススメの城です! 

山城を築城する際は、急な斜面などの自然の地形を利用して城壁代わりにし 、必要な箇所だけ防御施設を築く 

 

 このように山城のメリットは、地形を上手く利用することで小規模の工事と費用で高い防御力を生み出せる所です

 さらに、攻める側は約30㎏の甲冑(かっちゅう)を着て斜面を登るため 

 疲弊しやすいなどのメリットもあります

 一方でデメリットも抱えています

それは城全体の規模が小さいため、食料や武具といった物資を保管できる場所が少なく、 

籠城戦や大軍の収容には適さない点です

 特に山の頂上に築城されるため井戸を掘ることが難しく、水不足に陥れやすい 

また、山奥に築かれているので人が住む場所からは離れており、城下町の発展は難しく、政治や経済の中心地にはなりにく点です 

そのため、中には城主や家臣団の屋敷を山城のふもとにおき、普段は城下町の発展に尽力し、戦いとなれば山城に籠る場合もありました

次に戦国中期から後期にかけて、山城と平城が複合した「平山城」が登場します 

 2.平山城 

 代表的な平山城は 

 岡山県の「津山城」、兵庫県の「姫路城」、高知県の「高知城」です

本丸などの中心部は丘陵や台地の上に築かれ、城主や家臣団の屋敷は平地に建てられるのが多い 

山城に比べ、大軍を収容できる上に、城下町を発展させることができ、経済や政治の中心地になりやすかったです

 一方でデメリットは、山城のように天然の要塞が少ないため、城全体に水堀や高い石垣を築く必要があり、莫大な費用がかかる点です

3.平城 

 名前の通りほぼ完全な平地に築かれた城です

 代表的な平城は 

 愛知県の「名古屋城」、静岡県の「駿府城」、広島県の「広島城」 

平城は広大な土地に城を築くため、大軍を収容しやすいうえに交通の便が良いため城下町発展させやすい 

もちろん周辺には一切の自然要塞がないため、山城に比べると防御力は劣る 

しかし戦国時代の後期になると、

下剋上の中で領土を拡大してきた大名は豊富な労働力財力を獲得しているほか、土木技術が飛躍的に発展したことで大規模工事が可能になり、何重もの巨大な堀や石垣が築かれるようになりました

総合的にみると山城を超える防御力を持ち合わせていました 

 こうして戦国時代末期には平城が主流となっていた 

 4.水城(みずじろ・みずき)

 海や水に面して築城された城 

 代表的な水城は 

 愛媛県の「今治城」、香川県の「高松城」、大分県の「中津城」 

水城は海や湖が天然の堀となり、さらに海水を引き込むことで何重もの堀をめぐらすことができた(高松城が特にそう) 

 さらに、水運を生かして交易も盛んに行われていたよ 

一方で、暴風や高波の影響を受けやすく、腐敗しやすかったそうです 

そのため、水城は他のしろに比べると少なめです

投稿者から一言

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

さっそくお城を観に行きたくなりましたか?

 

そうなってくれていたら僕はすごく嬉しいです

 

これからもお城の魅力を伝えるのでぜひご覧ください 

予告

次回からはもっと細かくお城の「造り」について紹介していきます!

曲輪(くるわ)や石垣など、城巡りがもっと楽しくなるお城の

「見どころ」を投稿します!

https://muromati1392.com/stone-wall/ ‎

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