
天守閣って何のためにあるの?

望楼型と層塔型の違いって?
*この記事はそんな方に向けて投稿しました

こんにちは!
歴史オタクのりょーすけです!
今回は「天守閣」について解説しました
これを知っていいるだけで、以前よりも城巡りを楽しめるようになるので、ぜひご覧ください!
天守の歴史
やっぱ城巡りの醍醐味といったら
「天守」ですよね
今では見せ物としての役割が多いけど、戦国時代では物見の塔となり、最後の拠点として戦う場所だった
だから天守には「武者走り」や「石落とし」と呼ばれる防御の工夫がされていたんだ
そんな天守の起源は16世紀半ば(1500年代)頃から山城に設けられた「大櫓(おおやぐら)」にあるとされている
戦国武将の松永久秀(まつながひさひで)が築城した「多門山城(たもんやまじょう)」が天守のような「大櫓」だったとされる
そして天守の先駆けとなったのが織田信長の「岐阜城」だ
斎藤氏(さいとうし)の稲葉山城(いなばやまじょう)を攻略した際に再築城した
ざっくりだけど以上が天守の歴史でした
次に天守の種類について紹介します
城巡りをしていて「微妙にお城の造りがちがうな~」と思ったことありませんか?
実は天守には「望楼型(ぼうろうがた)」と「層塔型(そうとうがた)」の2種類の造りがあります
望楼型(ぼうろうがた)
二階程度の「入母屋造(いりもやづくり)」の屋根に上階を載せた構造です
そして出来あがった天守の最上階を「望楼」と呼んだので「望楼型」とされています
望楼型の最大の特徴は、上下階で柱を同じ位置で、あるいは同じ柱を通して建てることができたことです
こうすることで建物の強度が格段に上がります
ちなみに幻の城、安土城は望楼型だったとも言われています
そして
現存する望楼型の代表的なお城は「岡山城」です。
どっしりとした重圧感と漆黒に塗られた城壁
初めて行ったとき一目惚れしました
しかも自然豊かな後楽園の中にあるので人気スポットです
層塔型(そうとうがた)
お次は層塔型
層塔型の誕生は関ヶ原の戦い以降で、わりと遅めなんですよね
築城の名手、藤堂高虎(とうどうたかとら)によって築城された「今治城(いまばりじょう)」が層塔型の先駆けといわれています
層塔型は一階から最上階まで同じ形の建物を積み上げて築城されます
構造が単純であることから建築期間が短い。さらに各階の周囲に武者走り(ベランダ的なもの)を巡らせることができ、防御力を上げることができた
しかし望楼型と違って、上下階で同じ位置に柱を置くことが出来ず、少しずつ柱の位置が内側へズレていきます
そのため建物の強度としては望楼型に劣ってしまいます
補足情報:破風(はふ)
破風とは、天守閣でよく見られるもので、二枚の屋根を組んでできる三角形の壁面のことです
天守をより美しく飾る役割に加え、戦闘時には敵を迎え撃つ防御としての役割も担っていました
破風の型は
「入母屋(いりもや)破風」
「切妻(きりつま)破風」
「唐(から)破風」
「千鳥(ちどり)破風」の四種類があります
多くの天守が複数の破風を組み合わせていますが、彦根城では全ての破風を見ることができます
また「千鳥破風」と「入母屋破風」には、内部に狭い「破風の間」が設けられており
ここに「鉄砲狭間(てっぽうはざま)」という小窓を作り、敵を鉄砲で狙い撃ちしていました
破風の間は二畳程度のスペースしかなく、弓を持ち込むことは難しかったので、武器は鉄砲が使用されていました
破風の間は天守から張り出しているため、死角が少なく、敵を狙うには格好の的でした
このように破風は天守の装飾に加え、防御施設としても機能していましたが
争いが減っていく中で、めっきり破風は装飾用としてのみ使われるようになりました
投稿者から一言

最後までご覧いただきありがとうございます。
少しでもお役に立てましたか?
今まで攻略した城、またはこれから攻略する城が「望楼型」と「層塔型」のどちらに分けられるか観察してみてくださいね!
次回はお城の「堀」と「土塁」について解説しました!
特に堀は山城と平城で「敵の侵入を防ぐ」という共通の目的を持っていながら、その姿かたちはまるで異なります
なので、知っておくと城巡りをした際に

この城は〇〇な地形だから竪堀(たてぼり)にしたんだな
と推測できるようになります!
すると今まで以上にお城を楽しめるようになるので是非ご覧ください!


P.S
そのせいでりょーすけ(投稿主)はひとつの城を一周するのに6時間かかります
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