*この記事はそんな方に向けて投稿しました

こんにちは!
歴史オタクのりょーすけです!
今回のテーマは「城攻め」です
「奇襲」「兵糧攻め」「坑道戦術」の3本立てで紹介します
それではさっそく戦国時代へタイムスリップ!
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時は戦国時代
今日もまた大名たちが知略を絞って戦いに明け暮れていた
力攻め
いわば一気にお城に攻めいって陥落させる戦術で、攻城側に圧倒的な兵力があるときに用いられる
しかし、デパートのバーゲンセールを狙う主婦のように、正面から突っ込んでも成功しない。
攻城側には周到な準備と戦略が必要だ。
まず城から数キロ離れたところで柵などを用いて包囲し、外部から救援物資などが入るのを防ぐ
こうして城を孤立させてから城攻めを行う
力攻めは正攻法でかつ時間がかからないのがメリットだが、多大な犠牲を覚悟しなければならなかった。
そのため少なくとも籠城側の3倍の兵力が必要とされていたのだ。
実際、武田信玄が2万5千の兵を率いて徳川家康の領土に侵攻したのは
家康が率いていた兵が8千だという情報を掴んでいたからだという。
水攻め
次に紹介するのは「水攻め」
水攻めには城ごと水没させる戦法と水の補給を断つ戦法とに分けられる。
水の補給を断つには井戸や湧き水池などの水の手を占領すのと、水の手自体を破壊する方法がある。
例えば、井戸や湧き水などの水脈を断つために坑道を掘る方法がある。
一方で城ごと水没させる水攻めも使われていた。
映画「のぼうの城」で用いられたのが典型的な水攻めだ
城のまわりに堤防を築いて付近の川から水を引き、城を水中に取り残す戦術である。
いわば四面楚歌の状態だ。
しかしこれを実行するには大規模な土木工事を必要とし、大量の資金と人員を動員できる大名に限られた。
そして、この水攻めを実際に行ったのが豊臣秀吉だった。
備中高松城、尾張竹ヶ鼻城、紀州太田城
この城で行われた水攻めはいずれも秀吉の指揮によるものだった
水攻めは莫大な費用と人員を必要とする一方、味方の犠牲を最小限にして成果を上げる戦術であった。
奇襲
敵が予測もしない時間、場所から攻め込み、敵を混乱状態に陥れる戦法である。
奇襲の種類としては敵への「側面攻撃」と「背面攻撃」などがある。
背面攻撃の代表例として、源義経における一ノ谷の合戦がある。世間では鵯越(ひよどりごえ)の奇襲と言われている。
平家は正面の海から源氏が攻撃してくると思い、背面の崖(鵯越)の防備を怠っていた。
そこを義経に奇襲され、大混乱となった平家は対処できず総崩れとなった。
次に時間帯を狙った奇襲もある。
敵が寝静まったときに行う「夜討ち」と夜明けに行う「朝駆け」が多かった
かの有名な「本能寺の変」では夜討ちによる奇襲が行われていた
*朝駆けという説もある
この夜討ちと朝駆けの利点としては、城への接近が察知されにくいという点や
昼の合戦で敵が疲労しているところ攻められるという点だ。
さらに敵が油断しやすい大雨などの悪天候の日に好まれた。
奇襲を行った代表的な合戦といえば
織田信長の「桶狭間の戦い」や北条早雲の「小田原城攻め」、北条氏康の「川越野戦」が挙げられる
兵糧(ひょうろう)攻め
その名の通り籠城側の兵糧(食料)が尽きるのを待ち、敵が戦意喪失して降伏するの待つ戦法だ。
城全体を柵などで包囲し、外部から兵糧の搬入を遮断する。
力攻めや奇襲とは異なり、自軍の被害を最小限に抑えることができる。
この兵糧攻めの代表例として明智光秀の「八上城の戦い」や豊臣秀吉の「鳥取城の戦い」がある。
しかし、戦わずして勝つことができるものの莫大な日数と費用がかかる。
城全体を包囲するための兵力と、それを養うだけの食料、長期間(数年)にわたる自軍の士気を維持できる統率力が求められた。
一方で、
籠城側も兵糧攻めに耐えしのぐために、城内には様々な工夫が施されていた
味噌、塩、干し魚などの保存が利くものを確保していたり、燃料や食用(果物)になる植物を城内に植えたりしていた。
皆さんは岡山城に訪れたことありますか?
岡山城は田んぼや池といった自然豊かな後楽園の中にありますが、これも籠城に備えて築城されているようですね
坑道戦術
城外から地下にトンネルを掘り、城内に侵入する戦術だ。
実際に「出雲白鹿城(いずもしらがじょう)の戦い」では、穴の中で両軍が戦ったともいわれている。
また、坑道戦術は侵入以外にも
櫓や城門を掘り崩したり、井戸などの水脈を断ったりするために使われていた。
ちなみに大阪の陣では徳川軍が坑道を掘っていたが、大阪城の本丸まで遠すぎて実現できなかったと言われている。
籠城の戦い方:後詰め
一方で、籠城で城を守る側はどんな戦い方をしたのか
それは、語詰め(ごづめ=援軍)が到着したら挟み撃ちで出撃していたのだ
後詰めとは、敵(攻城側)が城を包囲しているときに
味方の軍や同盟国からの援軍を要請して
籠城側と援軍側による敵の挟撃を狙った戦法だ
後詰めの援軍があるからこそ、籠城側は飢えに耐え忍びながら奮闘したのだ
そして後詰めをするなら山城より平城のほうが良い
山城は敵に攻められにくいものの、後詰めの援軍が到着した際に軍を展開できる平野がない
一方で平城だと、敵に城を包囲されやすいが
後詰めの援軍が軍を展開できる平野がある
もちろん攻城側も城を攻める際、後詰め対策を行う
城を包囲する時に周りに堀や柵を張り巡らす他、先に周辺の城を陥落させて援軍が出せなようにしていた
投稿者から一言

最後までご覧いただきありがとうございました。
少しでも城攻めについて知っていただけたら幸いです。
次回は「お城の役割」と「お城の種類」について紹介します!
実は、お城には軍事拠点以外の役割もあったので
気になる方はぜひご覧ください!

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