
もっとお城を深く観察したい!

石垣の種類ごとの役割を知りたい
*この記事はそんな方に向けて投稿しました

こんにちは!
歴史オタクのりょーすけです!
今回は「曲輪」と「石垣」について解説しました
これら2つを知っておけば、今まで以上にお城を楽しく観察できるようになるで、ぜひご覧ください!
曲輪(くるわ)
曲輪とは城を構成する区画を指し
曲輪は本丸(お城が建てられている場所)に近いほうから二の丸、三の丸と呼ばれています
それらの曲輪は第2の拠点(第1の拠点は本丸)として機能したほか、大名の隠居所など、役割は様々です
中には、井戸などの水の調達場所として機能していた「水手(みずのて)曲輪」や
娯楽のために造られた庭園などがある「山里曲輪」も存在しています
また戦闘のための曲輪として知られるのが「出丸(でまる)」
「真田丸」でおなじみの真田幸村が大阪の陣の際に造ったもので、最前線の防御・出撃施設として機能していました
こうして城はいくつもの曲輪が連結しあって成り立っており、曲輪の配置によって防御力が左右されています
以下で示しているように、曲輪の連携形式には
「連郭(れんかく)式」「梯郭(ていかく)式」
「輪郭(りんかく)式」「円郭(えんかく)式」
の4つの基本形があります
連郭式 (れんかくしき)
本丸、二の丸、三の丸が縦一列に並ぶ形式
本丸が一段高い所に築かれることが多く
前方への防御力は高いが、その他三方向の守りは薄い
ひこにゃんが可愛い「彦根城」や岡山県の「備中松山城」がその代表例です
梯郭式(ていかくしき)
三の丸の中に二の丸、二の丸の中に本丸があり
それぞれ二方向で接している
また本丸と二の丸が接続しない箇所には高い塀や石垣が
築かれている
僕がいつか攻略したい「弘前城」がその代表例
輪郭式
本丸の四方を二の丸が囲み
その二の丸を三の丸が囲む形式
対徳川との拠点として豊臣秀吉により築城された「甲府城」がその代表例
円郭式
曲輪が円状に広がっており
山城で多く見られる
なんだか苗字みたいな名前をもつ「田中城」がその代表例
石垣の種類
石垣に用いられる石は固いことが求められてたため、火山岩系の安山岩や深成岩系の花崗岩が好まれていました
基本は築城付近から切り出して運ばれるが、付近にふさわしい石がない場合は遠方から運ばれていました

また、廃城や寺社から転用していたケースもあるよ。
石垣を築く際に重要なのはその積み方
石垣の積み方でお城の強度や見栄えか変わります
野面積み(のづらづみ)
ほとんど加工されず、同じ大きさの自然石を積む方法
野面積みは排水性が高いことがメリットですが、石の形が不統一なためでこぼこで、石と石の間に隙間があります。そのため、城を攻める際にボルダリングのように石垣を登る敵もいました
打込み接ぎと切込み接ぎ
石を加工する技術が生まれると、石の表面をある程度加工したうえで、石積をする「打込み接ぎ」(うちこみはぎ)が行われるようになりました
さらに時代が進むと、石を整形し、切り石のみで積み揃えられる「切込み接ぎ」(きりこみはぎ)が用いられるようになりました
打込み接ぎと切込み接ぎの登場は、石垣をより高く急勾配にすることが可能になっただけでなく、石垣の隙間がなくなり、野面積みのように敵がよじ登りにくくなりました。
その後も石垣の技術は向上し、下半分の緩やかな勾配が、上に行くに従って急勾配になる「反り」(そり)が生まれる
これだと上部が急勾配で簡単に登ることができないうえに、梯子を掛けられないため「武者がえし」とも呼ばれています
その代表例が熊本城の石垣です。
豊臣恩顧の大名で、2度も朝鮮出兵で激闘を繰り広げた加藤清正の考案によるものです。
投稿者から一言

今回も僕の記事を読んで頂きありがとうございます!
少しでも皆さんにお城の魅力が伝わってくれてたら嬉しいです
次回は「天守の望楼型・層塔型」について解説したので、気になる方はぜひご覧ください!

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