【武将の教養】5分で分かる!四国の武将「山内一豊」「長宗我部元親」

こんにちは!

「お城デート♡」推奨家&評論家のりょーすけです!

今回は四国の武将について簡単に解説しました!

その人物のおおまかな生涯を知りたい方におススメです

ちなみにこれまでは九州の武将お城について解説しているので

気になる方は下記のURLへ

(九州の英傑たち)

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(お城を彩る破風について)

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それでは本題へ出陣!🐴

山内一豊(やまうちかずとよ)

尾張の出身の武将、山内一豊

生涯のうちに織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人に順次仕えている

織田信長につかえていた頃、信長vs朝倉義景の一乗谷の戦いに参戦

弓の使い手として名高い敵将三段崎勘右衛門の矢が一豊に命中したが、そのままの勢いで勘右衛門を討ち取った

本能寺の変が起きた頃には秀吉のもとで備中高松城攻めに加わっていた

関ヶ原の戦いでは、徳川方の東軍に参戦

合戦時では家康本陣の後方に陣取っていたため武功を上げることはできなかった

しかし

石田三成が挙兵したと知ると

いち早く自分の居城を家康に明け渡して兵糧を提供

そのことが認められ土佐(高知県)の領主となり、明治維新まで続く土佐藩の基礎を築いたのだ

土佐に入国して間もない頃、農民による一揆に悩まされていた

そこで、新国主入城の行事の際、客の中から一揆に関係した者を捕らえて磔にしたといわれている

決断力と先見性を兼ね備えた武将だ

長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)

長宗我部国親の長男、元親は

幼少時代は「姫若子さま」と呼ばれるほど色白で華奢な身体だった

しかし、22歳の初陣では

戦場での戦いぶりと素晴らしい采配により、家臣団からの評価はガラリと変わった

1560年、父の死を受けて家督をついでからも勢いは止まらず、ほぼ四国全土の統一を果たした

元親の勢力拡大を支えたのは、1つは一領具足と言われる野武士で、もう1つは外貨の獲得だった

自国で採れた作物や木材を他国に売ることで財力を蓄えていた

織田信長が四国攻めを決行しようとしたが、本能寺の変により信長が倒れ、難を逃れた

 

しかし、その後の羽柴秀吉による討伐にあう

当初元親は和睦に応じるつもりだったが、伊予・讃岐(香川)の2国を渡せという秀吉に対して、一国のみを主張し、和睦は決裂

その後秀吉の総攻撃を受け、各地で長宗我部軍は敗退

嫡男の信親までを失い、とうとう降伏したのだった

今回も僕の記事を読んでいただきありがとうございます☘

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