【2023年度版】県民が教える!岡山県のお城の選び方

城 日本史
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岡山県のおススメのお城を知りたい

のんびりできるお城を探している

この記事はそんな方に向けて書いています。(2023年度版)

こんにちは!

僕は岡山で育ち、中国、四国のお城をほぼ全て制覇してきた          お城マニアりょーすけです。                      今は北海道で大学生をしており、「五稜郭攻め」に向けて貯金中です(笑)

ここでは岡山の城をランキング形式で紹介しています。評価項目は

「景観」「歴史」                                  「行きやすさ」「アクティブさ」

それぞれ5点満点で評価し、20点満点でランキングを作りました!

城マニアであり地元民ならではの視点で、ガイドブックには書かれていないようなこともお話ししようと思います。

みなさんの素敵な旅行のお手伝いができれば幸いです。それではいざ、参る。

第1位【岡山城】 18/20点

別名:鳥城(うじょう)金城(きんじょう)

造り

天守:望楼型(ぼうろうがた)の複合式。                                                    城郭:平山城の梯郭式(ていかくしき)

郭式の種類⬇

郭式については下記で詳しく説明しています

評価項目

景観:★★★★★                                                   歴史:★★★★☆                                                           行きやすさ:★★★★★                                                     アクティブさ:★★★★☆

アクセス

最寄駅(JR岡山駅)からの所要時間

車:約10分                                                バス:約15分。片道120円                                                 歩き:約25分

見どころ・楽しみ方

「ゆっくりと心を落ち着かせたい」

「恋人とゆっくりできるデートスポットがほしい」

そんな方にピッタリなのが岡山城です。なぜなら、岡山城は自然豊かな後楽園の中にあるからです。

日本三名園の一つである岡山後楽園には、中央に「沢の池」という大きな池があり、その周りに築山や茶室などが点在しています。そして、それらが水路や散策路で結ばれています。

池の周りを一周しながら庭園を鑑賞できる「池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)」の大名庭園です。

なにより、緑一面のなかにある漆黒の城、岡山城の存在感は圧巻です。

しかも、後楽園はとても広大で、園内をすべて観光するのに約2時間ほどかかります。自然を感じながらゆったりと過ごしたい方におススメです。

また時期によっては、後楽園内でライトアップがされ、お昼では見られなかった幻想的な世界が広がります。

ライトアップの期間は年によって異なるので、公式ホームページでご確認ください

(公式URL):【公式】岡山城ウェブサイト (okayama-castle.jp)

そもそもなんでお城に大きな庭園があるの?

A.籠城戦に備えるためです

籠城の際は水や食べ物といった食料のほか、弓矢などの武器の材料が必要です。そこで、庭園に実ができる木や武器の材木になる木を植えることで、長期の籠城に備えることができます。

普段は城主の遊興や家臣たちとの交流に使われていました。

歴史

築城年:1597年(関ヶ原の戦いの三年前)。宇喜多秀家が築城を開始。                            重要文化財:月見櫓(つきみやぐら)。藩主、池田忠雄のときに建てられた(1620年)

第2位【備中松山城】17/20

別名:高梁城(たかはしじょう)

造り

天守:望楼型の複合式                                                     城郭:山城の連郭式(れんかくしき)

なんで山に城を築いたの?

A.低コストなのに守りが強固だったからです

山城は地形を上手く利用して造られています。急な崖を城壁代わりにし、必要な部分だけに人口施設を築いていました。                                    平城のようにお城の周りを堀や城壁で何重にも囲む必要がなかったため、低コストでお城を築くことができます。

しかし、城域が狭いため、物資を保管する場所が少なく、長期の籠城や大軍の収容には向いていませんでした。

評価項目

景観:★★★★☆                                       歴史:★★★★★                                                   行きやすさ:★★★☆☆                                                 アクティブさ:★★★★★

アクセス

備中松山城までのルートは沢山あるので、詳しくは下記のホームページへ

登山好きな方は、登山口から攻略するのがおススメ!

子どもでも登れます!

(高梁市のホームページ)https://www.city.takahashi.lg.jp/uploaded/attachment/22934.pdf

見どころ・楽しみ方

「森林浴で心を落ち着かせたい」

「サクッと登れる山を探している」

「山城ならではの自然の要塞を観たい」

そんな方にピッタリなのが備中松山城です。

なぜなら、備中松山城は登山とお城の両方を楽しむことができるからです。標高430mの臥牛山(がぎゅうざん)という山に築かれた山城。

子どもから大人まで気軽に登ることができ、登山口から約40分ほどでお城へ着きます。

夏になると、近くの高校生が部活の練習で走って登っている時があります(笑)

自然の地形を利用して造られた備中松山城。崖を城壁代わりにし、低コストで強固な防御施設を築いています。

歴史

築城年:1240年。秋庭三郎重信(あきばしさんろうしげのぶ)が築城。1683年に水谷勝宗の改修工事により現在の形へ。

重要文化財:天守、二重櫓、三の平櫓東土塀

戦い

明善寺合戦(みょうぜんじかっせん)

備中松山城は山陰と山陽、東西をつなぐ交通の要所であったため、尼子家、毛利家、宇喜多家、三村家の三大勢力が取り合っていました。そこで、三村家は毛利家と同盟を結び、備中松山城を手に入れます。

その後、三村家親(いえちか)は宇喜多家の手によって殺されます。父を失った三村元親が弔い合戦を開始したのが「明善寺合戦」です。

三村元親は宇喜多家の明善寺城を攻略したものの、宇喜多家にすぐに取り返されます。この敗戦により、備中松山城も奪われてしまいます。                           この後、三村家は毛利家の手を借りて備中松山城を奪還しました。

備中兵乱(びっちゅうへいらん)

織田信長に追放された足利義昭。彼を保護した毛利家は宇喜多家と同盟を結びます。宇喜多家に遺恨がある三村家は毛利家との同盟を破棄。その後、毛利家と宇喜多家の連合軍によって備中松山城は落城します。

第3位 【津山城】16/20

別名:鶴山城(がくざんじょう)

造り

かつての天守:独立式の層塔型                                       城郭:平山城の梯郭式

評価項目

景観:★★★★☆                                                  歴史:★★★★☆                                               行きやすさ:★★★★★                                           アクティブさ:★★★☆☆

アクセス

最寄駅(津山駅)からの所要時間

車:約5分                                                       バス:約15分                                                              歩き:約20分

見どころ・楽しみ方

「お城で花見がしたい」

「桜が綺麗なところを探している」

そんな方にピッタリなのが津山城です!なぜなら、さくら名所百選に選ばれるぐらい桜が綺麗だからです。春には千本の桜が咲き誇り、お城中を桜が包み込みます。

おススメの時期は「津山桜まつり」が催される頃。期間は年によって異なるので、下記の公式ホームページからご確認ください。

(公式ホームページ)https://sakuramatsuri.e-tsuyama.com/

もうひとつの見どころは「一二三段(ひふみだん)」。石垣を階段のように築くことで、城内が迷路みたいになっており、攻めてくる敵の見通しを悪くしています

 

こんなに桜が綺麗なのになんで「景観」が満点じゃないの?

A.城跡であるため天守が残っていないからです。

1874年の廃城例によって天守を含むほとんどのお城が取り壊されたからです。写真に写っているのは「備中櫓(びっちゅうやぐら)」と言われる復元された櫓なんです。

 

櫓は何のためにあるの?

A.敵を見張ったり、物資を保管したりするためです。

戦時には櫓から鉄砲や弓矢で攻撃する施設としても使われていました。

歴史

築城年:1616年。森忠政(もりただまさ)により築かれた。

森忠政は森蘭丸(もりらんまる)の弟。森蘭丸といえば、織田信長と共に本能寺の変で戦死した武将です。蘭丸は信長と一緒に夜を明かしていたとか…
1874年廃城令により天守、屋敷、櫓、門の取り壊し
2005年:備中櫓の復元

第4位 【鬼ノ城】 15/20

読み方:きのじょう

造り

城郭:古代山城(朝鮮式山城)

評価項目

景観:★★★☆☆                                                          歴史:★★★★★                                                      行きやすさ:★★☆☆☆                                                アクティブさ:★★★★★

アクセス

最寄駅(総社駅)からの所要時間

車:約25分                                            歩き:約2時間

見どころ・楽しみ方

「景色のいいハイキングコースを探している」

「夕日が綺麗な景色を撮りたい」

そんな方にピッタリなのが鬼ノ城です!                           なぜなら、鬼ノ城は約2.8㎞もの城壁で囲まれており、その城壁に沿ってハイキングコースが造られているからです!                                     自然に囲まれたハイキングコースからの景色は最高で、天気の良い日には四国まで見渡せられるとか…⁉

おススメの時間は夕日が見える頃。夕日に照らされた鬼ノ城はとても神秘的です。

日の入り時刻は要チェック

歴史

築城年:7世紀後半(650年~)

なんで鬼ノ城は造られたの?

A.国防のためです

当時の日本は朝鮮半島の百済(くだら)と友好関係を築いていました。その百済が唐と新羅(しらぎ)に侵攻されたため、日本は百済に援軍を送ります。                    しかし、日本・百済連合軍は惨敗(=白村江の戦い)。

唐と新羅が日本にまで侵攻してくることを恐れた天智天皇は、福岡県の大野城を始め、全国に山城を築きます。そのうちの一つが鬼ノ城だと言われています。

鬼ノ城については「日本書紀」などの歴史書への記載がなく、今もな発掘調査が続いています。

鬼ノ城の由来

朝鮮半島から温羅(うら)という一族がやってきて、京へ運ぶための物資を略奪したり、女性を襲うなど悪行を働いていました。                               地域住民から温羅一族は「鬼」と恐れられ、鬼が住む城から「鬼ノ城」という名前が付けられたそうだ。

投稿者からあなたへ...

最後まで読んでいただきありがとうございます。               岡山県のお城巡りの参考になったでしょうか?                  どのお城にも、そのお城ならではの見どころ楽しみ方があるので、皆さんの旅の目的に合わせて観光していただければ幸いです。それでは、素敵な旅へいってらっしゃいませ。

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