【2024年度版】絶景をお届け!鳥取県のお城の選び方


鳥取県のおススメのお城を知りたい

景色が良い場所を探している

この記事はそんな方に向けて書いています。                              (2023年度版)

こんにちは!                                                   お城大好き大学生、りょーすけです!

最近やっと車の免許を取ったので、城巡り旅行を計画中です(笑)                                         さて、今回は鳥取県のお城をご紹介します。

行ったことがあるからこそ分かる、それぞれのお城の見どころおススメの時期を紹介します。

この記事が皆様の素敵な思い出作りの手助けになれば幸いです。それではいざ、参る。

【鳥取城跡】

別名:久松城(ひさまつじょう)・久松山城(ひさまつやまのしろ)

造り
天守(非現存):層塔型(そうとうがた)の複合式
城郭:平山城の梯郭式(ていかくしき)

アクセス

JR鳥取駅からの所要時間

:約15分                                                 バス:約25分(運賃=170円)                                            歩き:約33分

見どころ・楽しみ方

「さくっと登れる山を探している」

「眺めがいい場所を知りたい」

そんな方にピッタリなのが鳥取城跡です!                                       なぜなら、鳥取城跡は標高263mの久松山という山に築かれたお城で、麓(ふもと)から山頂(本丸)まで登ることが出来るからです。

麓から山頂までの往復が約70分ほど。                                          山頂からの景色は格別で、鳥取砂丘とその先の日本海まで見渡せます!

 

登山道には道幅が狭い所もあり、やや険しい箇所がございます。動きやすい靴、動きやすい服装で登られることをオススメします。

 

また、さくら名所百選にも選ばれており、春になると沢山の桜が鳥取城を包み込みます。            桜の時期は3月下旬から4月上旬ごろです。                                   詳細は「全国お花見ガイド」でご確認ください。

さらに、復旧工事により大手門も見ることが出来ます
こちらの大手門は「高麗門(こうらいもん)」と言われる門で、左右の柱に切妻の屋根を載せたもの。
                                                     雨から門扉を守ることができるため、城門に多く使われていた。

歴史

築城年:1555年に山名氏によって築城。その後、池田長吉(いけだ・ながよし)によって拡張。

池田長吉と言えば、姫路城を築城した池田輝政(いけだ・てるまさ)の弟。  また鳥取城の拡張の際、姫路城の築城に関わった職人が多く使われていたことから、鳥取城は「姫路城の弟城」とも言われている。

鳥取城の戦い

羽柴秀吉                                   (はしば・ひでよし:後の豊臣秀吉)                        VS                                       吉川経家                                          (きっかわ・つねいえ:毛利軍)
秀吉側の兵力:20,000(2万)                                                   経家側の兵力:4,000(4千)

天下統一を目指す織田信長  

                                中国地方を治める毛利氏を倒すべく、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)を中国方面の総指揮官に任命した。

羽柴秀吉2万の大軍を率いて、毛利氏が治める鳥取城へ進軍。  

鳥取城の城主、山名豊国(やまな・とよくに)は秀吉の勧誘工作により毛利氏を裏切りる。  

城主不在となった鳥取城には、400人の家臣を率いた吉川経家(きっかわ・つねいえ)が新たな城主として入城。そして経家

秀吉は兵糧攻めをしてくる

と予想した。

なぜなら、鳥取城は久松山(きゅうしょうざん)という山に築かれた山城で、守りが堅く、力攻めで攻め落とすのは困難であったからだ。 

 兵糧攻めのメリットとデメリットは?                                                                         https://muromati1392.com/letter-8/ ‎                                 

毛利軍の勝算としては、冬が到来する12月まで持ちこたえれば、秀吉は包囲できなくなり、撤退するというものである。 

さっそく籠城戦の準備に取り掛かった毛利軍だが、籠城戦で最も重要な兵糧(ひょうろう:お米)を十分に集められなかった。                                

これこそ秀吉の策略によるものだったからだ。 

秀吉はまず、鳥取城周辺の米を通常の2倍の価格で買い占める。                   

さらに、周辺の村を焼き尽くし、住民を鳥取城へと向かわせた。                            

すると、鳥取城内の人数は1400人から4000人へと3倍近く増加。                              

兵糧が少ないうえに城内の人数が増加したため、毛利軍の圧倒的な不利な状況で戦いは幕を開けた。 

そこであなたは 

なんで他のお城から援軍が来ないの?

と思うでしょう 

結論から言うと、それは不可能だったからです

理由は主に2つ。 

太閤ヶ平(たいこうがなる)に本陣を置いた羽柴秀吉は、鳥取城周辺を12キロもの柵で包囲。                                          さらに、鳥取城の補給基地となっていた近隣の丸山城、雁金城(かりがねじょう)もそれぞれ包囲させ、鳥取城を孤立させていたから。 
②毛利軍の時の総大将、毛利輝元(もうりてるもと:毛利元就の孫)は、現在の岡山県を支配していた宇喜多直家(うきた・なおいえ)との戦いで鳥取城に援軍を送る余裕がなかったからだ。 

段々と兵糧が減っていく鳥取城。                                      

最初は城内にある草や木の葉を食べていたが、それが無くなると牛や戦で使う馬までも食べるようになった。                                                    

さらに、やせ衰えた男女が柵にしがみついて 

「出してくれ!」 

と叫ぶと、それを秀吉軍は鉄砲で狙撃。                                   

すると、周りにいた城兵たちがいっせいに飛び掛かり、まだ息があるうちに食べたと言われている。 

このようなありさまから、鳥取城の兵糧攻めは「渇(かつ)え殺し」と言われている 

 1581年、10月25日。

城主の吉川経家は降伏を決断。                                    

自身の命と引き換えに城兵を助けてほしいと秀吉に申し出た。                             

そして経家は家臣とともに自刃し、鳥取城は落城。                                    

約半年に及ぶ兵糧攻めは羽柴秀吉の勝利で幕を閉じたのだ。                    

城兵らは助命されたが、彼らにさらなる悲運が待ち受けていた。                       

秀吉の軍から粥(かゆ)が与えられたが、城兵たちはそれを消化する機能さえ失っていた。             

中には、一度に多食してその場で死んでしまった者もいたという。 

【米子城跡(よなごじょうあと)】

別名:久米城(くめじょう)・湊山城(みなとやまじょう)

造り

 天守(非現存):望楼型(ぼうろうがた)の連結式                                     城郭:平山城(水城:みずき)の梯郭式

アクセス

JR米子駅からの所要時間
:6分
バス:16分(運賃=170円)
歩き:18分

見どころ・楽しみ方

「綺麗な夕日を見たい」

「360°見渡せる場所を探している」

そんな方にピッタリなのが米子城跡です!

なぜなら、米子城跡は海に面している湊山という山に築かれた山城で、空も海も山も街も一望できるからです

天気が良ければ、日本百名山に選ばれている大山(だいせん)も見ることが出来ます。

特に、日の出と大山が重なるダイヤモンド大山」は神秘的!

ダイヤモンド大山がみられるのは10月と2月ごろと言われています。                                                            日の出の時刻などは米子市の公式ホームページでご確認ください
(米子市の公式ホームページ)                           https://www.city.yonago.lg.jp/39561.htm
頂上に行くためには「三の丸広場」という駐車場から登ります。
頂上までは20分ほどなので、小さいお子様でも登ることが出来ます。
道は地元のボランティアさんにより整備されていますが、急な階段などがありますので、動きやすい靴を履かれることをオススメします。

歴史

築城年:1602年に中村一忠(なかむら・かずただ)が完成させる。

1591年に吉川広家(きっかわ・ひろいえ)が鳥取城の築城を始める。                     1600年の関ヶ原の戦いに西軍側で参戦した広家だが、西軍側の敗北により岩国(いわくに:現在の山口県)へ転封(てんぽう:領地替え)されたことで、鳥取城の完成を見ることはなかった。
米子城の始まりは1467年、山名宗之(やまな・むねゆき)が築いた飯山砦(いいやまとりで)だ。  その後、山名氏と尼子氏による戦いの場となることが多かったが、1562年に毛利氏が米子城を制圧。                                                         1615年、幕府による一国一城令を逃れ、米子城の保存が決まったが、1873年に士族に売却されたことで天守を含むほとんどの建物が取り壊される。

海の近くにお城を築くメリットは?

A.水運を自在に利用することが出来るからです
軍船や物資を運んだ船を城内で停泊することが出来ます。また、海が天然の堀であり、海水を引き込んで何重もの水堀を引き込むことが出来ます。
水城をはじめとする山城や平城などのお城のタイプは、下記のページで詳しく説明しています!https://muromati1392.com/letter-10/
水城のデメリットととしては、暴風や高波を受けやすく、建物が腐敗しやすいことです。

投稿者からひと言

最後まで読んでいただきありがとうございます。                              鳥取県の城巡りの参考になったでしょうか?
他の記事では僕の地元である岡山県のお城も紹介しているので、気になる方はぜひ読んでみてください。
                                                         それでは素敵な旅行へいってらっしゃいませ。

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