【お城の教養】織田信長も実践!戦国時代の城攻め第2弾「奇襲」「兵糧攻め」「坑道戦術」

前回に引き続き「攻城戦」第2弾! 

 今回は「奇襲」「兵糧攻め」「坑道戦術」3本立てで紹介します 

 それではさっそく戦国時代へタイムスリップ! 

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 時は戦国時代 

 今日もまた大名たちが知略を絞って戦いに明け暮れていた 

 奇襲 

 攻城側(城を攻める側)と籠城側(城を守る側)の兵力差が大きくない時に用いられていた。 

 敵が予測もしない時間、場所から攻め込み、敵を混乱状態に陥れる戦法である。 

 奇襲の種類としては敵への「側面攻撃」「背面攻撃」などがある。 

 背面攻撃の代表例として、源義経における一ノ谷の合戦がある。世間では鵯越(ひよどりごえ)の奇襲と言われている。 

 平家は正面の海から源氏が攻撃してくると思い、背面の崖(鵯越)の防備を怠っていた。 

 そこを義経に奇襲され、大混乱となった平家は対処できず総崩れとなった。 

 次に時間帯を狙った奇襲もある。 

 敵が寝静まったときに行う「夜討ち」と夜明けに行う「朝駆け」が多かった 

 かの有名な「本能寺の変」では夜討ちによる奇襲が行われていた 

 *朝駆けという説もある 

 この夜討ちと朝駆けの利点としては、城への接近が察知されにくいという点や 

 昼の合戦で敵が疲労しているところ攻められるという点だ。 

 さらに敵が油断しやすい大雨などの悪天候の日に好まれた。 

 奇襲を行った代表的な合戦といえば 

 織田信長の「桶狭間の戦い」や北条早雲の「小田原城攻め」、北条氏康の「川越野戦」が挙げられる 

 兵糧(ひょうろう)攻め 

 その名の通り籠城側の兵糧(食料)が尽きるのを待ち、敵が戦意喪失して降伏するの待つ戦法だ。 

 城全体を柵などで包囲し、外部から兵糧の搬入を遮断する。 

 力攻めや奇襲とは異なり、自軍の被害を最小限に抑えることができる。 

 この兵糧攻めの代表例として明智光秀の「八上城の戦い」や豊臣秀吉の「鳥取城の戦い」がある。 

しかし、戦わずして勝つことができるものの莫大な日数と費用がかかる。 

城全体を包囲するための兵力と、それを養うだけの食料、長期間(数年)にわたる自軍の士気を維持できる統率力が求められた。 

 籠城側も兵糧攻めに耐えしのぐために、城内には様々な工夫が施されていた 

 味噌、塩、干し魚などの保存が利くものを確保していたり、燃料や食用(果物)になる植物を城内に植えたりしていた。

皆さんは岡山城に訪れたことありますか?

岡山城は田んぼや池といった自然豊かな後楽園の中にありますが、これも籠城に備えて築城されているようですね 

気になる方は下のリンクからどうぞ!

ホーム/後楽園 (okayama-korakuen.jp)

 坑道戦術

 城外から地下にトンネルを掘り、城内に侵入する戦術だ。 

 実際に「出雲白鹿城(いずもしらがじょう)の戦い」では、穴の中で両軍が戦ったともいわれている。 

 また、坑道戦術は侵入以外にも 

 櫓や城門を掘り崩したり、井戸などの水脈を断ったりするために使われていた。 

 ちなみに大阪の陣では徳川軍が坑道を掘っていたが、大阪城の本丸まで遠すぎて実現できなかったと言われている。 

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 2回にわたって「攻城側」の戦術について紹介しました 

 次回からは「籠城側」の戦術について紹介していきます!

https://muromati1392.com/letter-9/ 

 僕のブログをのぞきに来てくれてありがとうございました♧

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