【お城の教養】豊臣秀吉の晩年の城「伏見城」実は模擬天守だった⁉図を使って徹底解説!


いらっしゃいませ!「お城デート♡」推奨家&評論家のりょーすけです!

これまではお城の「造り」について解説してきましたが、本日は「伏見城」を全集中で紹介していきます!

伏見城は一言でいうと「不幸な城」なんです

倒壊しては建て直しの繰り返し

まさに伏見だけに「不死身」ですね

(今回ばり調子いいかも)

そんな雑草魂をもつ伏見城とはどんなお城なのか

さっそく本題へ出陣!

伏見城の歴史

現在の京都府に建てられている伏見城は、豊臣秀吉の晩年の城とされており 

 これまでに4回も築城されている 

 1回目は1592年から、秀吉の隠居城として指月山(しづきやま)に築城が始まり 

 「指月山伏見城」と言われていた 

 

 聚楽第などから資材が移され、金色の瓦が使われるなど、秀吉らしい豪華な外観だったという 

 しかし、完成直後に「慶長伏見地震」によって倒壊 

 翌1597年に約1キロ離れた木幡山(こはたやま)に再築城された 

 完成の翌年、秀吉はこの城で生涯を終えたのだ 

 ところが「関ヶ原の戦い」の開戦前に、「伏見城の戦い」が勃発 

 徳川家康の重臣、「鳥居元忠(とりいもとただ)」が守る伏見城に宇喜多秀家(うきたひでいえ)らが率いる西軍4万が攻め入り落城 

 建物のほとんどが焼失したのだった 

 1602年、徳川家康によって望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)の伏見城が再築城された 

 (望楼型については下記のURLへ)

https://muromati1392.com/letter-12/ 

 家康は「大坂の陣」で豊臣家を滅亡させた後も、関西での居館用として利用していた 

 しかし、1619年に「一国一城令」によって廃城となった

「模擬」天守、伏見城 

 そして4回目の築城となるのが1964年のこと 

 伏見城跡に「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地が開園され、そのシンボルとして 

 「模擬」天守が築かれた! 

一応「洛中洛外図屏風」に描かれた豊臣時代の天守を参考にしているが、細部はあくまで「想像」であり、史実的根拠はないのだ 

さらに、2007年に公開された映画「茶々 天涯の貴妃」の撮影の際、大阪城に見立てたアレンジが加えられている 

しかし、入母屋破風(いりもやはふ)唐破風(からはふ)などを用いた豪華な造りはインスタ映え間違いなし

「破風についてはこちらで詳しく解説↓」

【お城の教養】図を使って分かりやすく解説!お城の「破風」と「堀」編  
お城の破風と堀について徹底解説!

 さらに春になると、庭園に満開の桜が咲き誇る、おススメデートスポットなのだ! 

 恋人とのゆったりデートがしたい方におすすめ♡ 

 ちなみに、遊園地は経営難により2003年に閉園してしまった 

 模擬天守も解体する予定だったが、地元住民や城好きが伏見城に籠城し断固拒否 

 というのは噓ですが、市民運動によって廃城はまぬがれた 

 最後に補足ですが、現在の伏見城は本来の天守跡に建てられていないのだ 

 本来の天守跡は「明治天皇陵(明治天皇のお墓)」になっている

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